コンプレックスと歩き出した日から

1:隠すことから始まった話

中学生の頃から、
人よりも顔に赤みがあることが気になっていました。

特別な理由があったわけではありません。
ただ、鏡を見るたびに、
なんとなく目立っているような気がしていたのです。

誰にも言えないまま、
母のファンデーションをこっそり借りて、
赤みを隠すようになりました。

それは「きれいになりたい」というより、
「見られたくない」という気持ちの方が近かったと思います。

高校生になると、今度はニキビが顔中にできるようになりました。
スキンケアグッズを変えても、
どんなに試しても、
良くなっている実感はありませんでした。

周りからは
「年齢のせいだよ」
「そのうち落ち着くよ」
と言われました。

けれど、気持ちは少しずつ曇っていきました。
人と目を合わせるのがつらくなり、
まともに相手の顔を見ることすらできなくなっていたと思います。

2:「気のせい」では済まなくなった日

それまでは、
なんとなくやり過ごしてきた違和感でした。

いつも通りのスキンケアをして、
いつも通りの生活をしているはずなのに、
肌の赤みやかゆみが引かない日が増えていきました。

そのたびに、
「疲れているだけかもしれない」
「季節の変わり目だから」
と、自分に言い聞かせていました。

そんな中、
学校の合宿で洗顔料や化粧水を忘れてしまい、
友達のものを借りたことがありました。

いつもと違うものを使っただけなのに、
お風呂から出たあと、
鏡に映った顔は真っ赤になっていました。

そのとき初めて、
人によって「合う・合わない」が
ここまで顕著に現れることがあるのだと知りました。

それと同時に、
自分の肌が思っていた以上に
敏感なのかもしれない、
そう感じるようになりました。

それ以降、
同じものを使うことに不安を覚えるようになり、
「体質やアレルギーの問題なのかもしれない」
という考えが、
はっきりと頭に浮かぶようになりました。

病院に足を運んだのは、
その少しあとです。
すぐに答えが出たわけではありませんが、
自分の体を知ろうとし始めた、
最初の一歩だったと思います。

3:体質と向き合うという選択

病院へ行けば、
何かはっきりした答えが出るのだと思っていました。

けれど実際は、
「これが原因です」と言い切れるようなものはなく、
正直、よく分からないままの部分も多くありました。

ただ、その中で、
遅延型アレルギーの反応が出ていることを知りました。

それが分かったとき、
大好きだった食事の中に、
小麦粉が含まれていることを改めて意識するようになりました。

どうしたらいいのか、
すぐには答えが出ませんでした。
完璧に改善したり、
すべてを避けたりすることは、
現実的ではないと感じたからです。

だから私は、
体質を無理に変えようとするのではなく、
自分の体と、できるだけうまく向き合いながら
生きていこうと決めました。

完璧ではなくてもいい。
その時の体の反応を大切にしながら、
美容とも、生活とも、
少しずつ折り合いをつけていく。

それが、
今の私なりの答えです。

まだ答えが出たわけではありません。

それでも、
遅延型アレルギーと一緒に生きていく中で、
私なりに見つけた形があります。

そのことを、次の記事で書こうと思います。

コメントを残す